書き物

第五隆(野呂介石) 山水画

紙本縦一四五×横五四㎝
以下の翻刻・現代語訳・語注は村井道明氏のご教示による。

撮影:遠藤雅義 / 分類:20231009-K14

壬午仲秋晩望寫於矮梅居
七十六歳老人第五隆

現代語訳

壬午の年の秋八月、十五日ごろに、矮梅居という住まいで描く。七十六歳の老人・第五隆。

語注

【壬午】文政五年(一八二二)。
【仲秋】ちゅうしゅう。陰暦八月の異称。
【晩望】ばんぼう。陰暦十五日頃の満月を「望」と呼ぶ。「晩望」は「望の頃の終わりごろ」という意味で、十五日そのものより、十五日を少し過ぎた時期を指す表現。「仲秋晩望」は、だいたい陰暦の八月十六日から十八日あたり。
【矮梅居】わいばいきょ。介石画室の号。
【第五隆】介石の号の一つ。

メモ

*野呂 介石(のろ かいせき、延享4年1747年~ 文政11年1828は、江戸時代後期の日本の文人画家である。紀州藩に仕え、祇園南海、桑山玉洲とともに紀州三大南画家と呼ばれている。名ははじめ休逸(きゅういつ)であったが、のちに改名して隆(りゅう)または隆年(りゅうねん)のふたつの名を混用した。字を松齢(しょうれい)、号は介石のほかに斑石(はんせき)、十友窩(じゅうゆうか)、澄湖(ちょうこ)、混斎(こんさい)、台嶽樵者(だいがくしょうしゃ)、第五隆(だいごりゅう)、晩年になって矮梅居(わいばいきょ)、四碧斎(しへきさい)、四碧道人(しへきどうじん)、悠然野逸(ゆうぜんやいつ)と号している。通称を弥助(やすけ)、後に九一郎(きゅういちろう)、喜左衛門(きざえもん)と称した。(wiki)

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