紙本縦□□×横□□㎝
以下の翻刻・訓読・現代語訳・コメントは村井道明氏のご教示による。

翻刻
郊原春編翠如烟 一帯蔞迷遠接天
露染青涒織雨後 波濺素瀎小風前
池塘清入幽人夢 堤畔穏客倦犢眠
笑殺王孫無意思 香輪輾破此芊芊
詠春草 復堂煥
訓読
郊原 春 編(あ)みて 翠(みどり) 烟の如く、
一帯 蔞迷(ろうめい)として 遠く天に接す。
露は青涒(せいくん)を染めて 雨後に織(お)り、
波は素瀎(そばく)を濺(そそ)いで 小風の前。
池塘(ちとう) 清くして 幽人の夢に入り、
堤畔 穏やかにして客 倦犢(けんとく)の眠り。
笑殺(しょうさつ)す 王孫の 意思無くして、
香輪 輾破(てんぱ)す 此の芊芊(せんせん)を。
現代語訳
郊原には春がめぐり、みどりの草は煙のように広がっている。
一面に生い茂る草は、遠く空へと続いて見える。
露にぬれた青々とした草は、雨あがりにいっそう鮮やかで、
白い波しぶきは、ほのかな風の前に軽く散っている。
池や沼の澄んだ景色は、世を離れた人の夢の中にまで入りこみ、
堤のほとりでは、旅人も子牛も穏やかにまどろんでいる。
王孫がそんな春草に心を向けないのは、まったくおかしいことだ。
香り高い車輪が、このやわらかな若草を踏みくだいてゆくのだから。
春の草を詠む。復堂煥。
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鉄 復堂(てつ ふくどう)。名は煥。字は子文。通称は嘉三。号は芳渓・渭洲・高亭・復堂。名東郡上佐那河内村の人。安永六年(一七七七)生まれ。はじめ八木巽所、のち那波網川に学び、また江戸に出て古賀精里の門に入った。父の病に遭い帰郷、常三島や下助任村で家塾を開いて教えた。門下に四十宮石田、岩本贅庵、安部椋亭、新居水竹があった。藩主斎昌は司読に登用しようとしたが、柴野碧海の下風に立つのを好まず、辞退して町儒のまま貧窮の中に死去した。天保一四年(一八四三)没、享年六七。墓は徳島市眉山町の敬台寺にある。


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