書簡

諸平書簡 近詠十首

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200638-P2101782

六月十四日御認之善(華?)書相達
辱拝見仕候此節残炎苦
熱(?)難凌御座候処益御
壮勇可被為入(????)奉賀寿候随
而拙?大??仕候間?
御休意可被下候然は鰒
玉入之哥之義追々御(?)
越も可有之候よし何卒
一日も早く奉待入候
一四帝論いまた成就は
出来不申候
一伊勢物語訳文瀬辺
氏迄遣し申候間御?
覧之上御評御書入
御かへし可被下候
一百夜の物語之?
此節書かゝり居申候而
御?御座候間御しらせ
可被下候是は無程出来仕候
つもりニ御座候
一東日記之儀承知仕候
則老翁へも御書之趣
かたり候処いまた手?
さへ不申候よし申居候此
節多忙老衰とてもとても

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200638-P2101783

急ニは参申間敷候猶(?)
御許よりも御せめ被成候
方可然奉存候いかなる
書ニや拙生いまたみす
早く見度事也
一しれもの拾遺早く見ま
ほし拙子万?をこものかたり
も十ケ條あり後便ニ見せ
奉るへし
一此節〇続風土記取調被
仰越日々右之役所
へ罷出候間扨々多忙
ニ(?)御座候然れとも学業は
たゆましとリキミ申候
カラリキミ可成奉存候
一大和物語長々拝借
仕候猶今暫し御
かし可被下奉希候
先は右等(?)申上度サツト
如此御座候盆後万々
可申上候以上
  七月二日

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200638-P2101784

近詠御詞ニあまえて
奉入御覧候以上

 猿
大江山さゝ栗おつる夕くれの
あらしの末にましらなく也

 虎
大空をかけらふ龍におくれしと
とくの心やあらひそめけん

 牛
大君の大御車ハくるしとも
うしともしらて牛や行くらん

 かたつふり
かたつふりたんきことヽハ角たてゝ
露のまかきのあるしかほなる(?)

 夏塵
ちりひちハあつさの数とつもりきて
まかきの山に吹風もなし

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200638-P2101785

 夏川
大井川闇をまつまの鵜かひ舟
しはしかしてよ月にうかへん

 晩夏
ほとゝきすなく一声にあけし夜も
夢むすふまて夏ふけにけり

隣(?)まて秋やきぬらん中垣の
一むら薄ほに出にけり

 是覚居候哥也
 此節哥をよむこと
 けしからぬ事也??
 之哥也(???)

読み取れる情報

①六月十四日付け(春足)書簡拝見。
②鰒玉集に入れる哥はあつまりつつある由(?)、一日も早くお送り下さるよう、お待ちしております。
③「四帝論」(諸平の著作か?)未だ成就せず。
④「伊勢物語俗文」(諸平の著作か?)瀬部(春暁)へ送ってあるので評を書き入れ送り返して頂きたい。
⑤「?夜の物語の解(?)」(諸平の著作か)この頃書きかけており間もなく出来る。(以下不明)
⑥『東日記』の儀承知。老翁(大平)へもこの本について話したが未だ??さえしていない様子。老翁は多忙の上老衰も重なり急にはとても無理だろう。(春足が『東日記』について大平に評か何かを依頼したか?)なおあなたの方からも催促したらいいだろう。小生も早く読みたい。
⑦『しれもの拾遺』(『白癡物語』拾遺篇があったか?)早く読みたい。小生方にも「をこのものがたり」が十ケ條ほどある。後ほどお見せする。
⑧この頃『続風土記』御用で毎日出勤、超多忙。それでも学業は怠らぬよう力んでいるがカラリキミか。
⑨)『大和物語』長々拝借。いましばしお貸しを。
⑩近詠十首添付。
⑪「此節」以下不明。

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コメント

  1. 牧野 茂 より:

    「加納諸平書簡 近詠十首」について教えて下さい。①宛名、差出人名なしで諸平の書館と判断したわけは?筆跡?内容?(「猿」の詞書での歌、「大江山~」は嘉永七年刊の『柿園詠草』に載っていましたが、他の歌は?)。②「六月十四日御認之善書」が、「読み取れる情報」に春足の書簡とあるのは、春足の書簡集か関連書簡にあるからでしょうか?③「ほととぎすなく一声に~」の詞書の「鴫??」はやはり違うでしょうね。歌と合いませんので。「杜鵑」としても2文字となりますので?
    追伸。古文書を読まれた方、すごいですね。私はなかなか読めませんでした。力不足を痛感しております。

    • 遠藤雅義(管理人) より:

      コメントありがとうございます!ご質問の件、解読していただいた先生に問い合わせた結果をお知らせいたします。(遠藤)

      > ①宛名、差出人名なしで諸平の書館と判断したわけは?

      他の諸平書簡等の書き物の筆跡・内容から判断しています。なお、和歌は同じ書簡に書き込まれています。コメントいただいた『柿園詠草』(加納諸平/嘉永七年刊)に「大江山さゝ栗おつる夕くれの/あらしの末にましらなく也」の歌が掲載されているとのことで、間違いないとわかりました。ありがとうございます。
      https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/300098130/1?ln=ja 国書データベース

      > ②「六月十四日御認之善書」が、「読み取れる情報」に春足の書簡とあるのは、春足の書簡集か関連書簡にあるからでしょうか?

      「御認之華書」を春足書簡と判断した根拠は、この書簡が遠藤家文書に残っており、しかも「御」「華」(あなたの)と敬語が使われているためです。(※遠藤家文書は大半が遠藤春足に関する史料となっております)

      > ③「ほととぎすなく一声に~」の詞書の「鴫??」は…

      こちら「鴫??」は間違いで、「晩夏」でした。コメントありがとうございます。(※本文も訂正しておきました)

      • 遠藤雅義(管理人) より:

        以下の件について、徳島県立文書館の方からも補足がありましたので共有いたします。(以下、職員の方からの内容を貼り付けます)

        > ①宛名、差出人名なしで諸平の書館と判断したわけは?

        私の方でも筆跡・内容から諸平書簡と考えています。内容としては「鰒玉集」への言及から、諸平からの書簡と考えてよいと思います。

        他には、
        ①「四帝論」について、エン200655においても言及しています。
        ②「東日記之儀承知仕候」について、「東日記」出版にあたって諸平に校正を依頼していた書簡があります。(エン200601、ただし春通宛と思われる)
        ③「続風土記取調被仰越」とあり、これは「紀伊国続風土記」を指すものと思われます。
        これら3点以外にも、注目点がありそうです。

        ーーー

        ※エン200655やエン200601は、徳島県立文書館内の史料整理番号です。

        以上、補足まで。

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