書簡

宛名・差し出し人なし(加納諸平書簡)難後言の評判他

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200666-PC121410

正月廿七日二月三日両度之
華章相達辱拝見仕候
御揃愈御壮勇奉賀寿候
随而小生義当年はいかなる
禍津日の神ニとりつかれ
候やさしつゝき風邪ニ
せめられ漸略十六日出
勤仕候程之事に而何
事も打捨御国(??)への返
書も怠候事ニ御座候然は
尊君へも存外御無沙
汰申訳も無御座候
第一に申上は難後言御
清書ニ而御恵贈被成下
大ニ難有奉存候早々大坂
長田鶴夫方へ見せ申候
是は兼而御噂申置候故
先見セ候義ニ御座候いまた返し
不申候扨又花田首之?ニ
若山竹人と書てハいかゝとの

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200666-PC121411

事承知仕候へとも是は
なきかた可然奉存候尤
かの跋めきたるものはホンノ
一時之戯ニてとても板に
彫候やうの事ニ而は無
???御除被下候や可
然やもし御加え被下候とも
若山人となき方よろし
きわけハ畢竟花男
帯の中ハ締たりといふ
を秀句に書たるなれハ
その縁ならぬ詞ありて
わろく奉存候又評之御
詞も
 或人曰?ノ論を
とか
 若山人曰ーーー
とか
御しるし可被下候加納諸平曰
なとはよろしからす候間

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200666-PC121412

其段御含可被下候右
一條はことに早々御?
可申上筈之処右之
仕合ニて延引ニ相成候
ニ付九日あはたゝしく
先此事のミ申上候書
余は後便以上
 二月十七日
只今又々急用ニ而
我友より呼ニ来り候
ニ付いろいろ申上度事
あれとも略之
且又旧臘被仰越候
御地両子入門之事
承知仕候処去ル十五
日彼方より詠草??
等参り今日返事を

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200666-PC121413

差出し申候??御伝
達尚又よろしく奉
希候実は小生今以
さつはりしたるもあらされ
ハ筆とるもくるしく
御座候両??中
又一封差上可申候
哥もあまたよめり

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200666-PC121414

  二月十三日
鶴夫書状中
尚々難後言拝見仕候
よく出来おかしく御座候
此節うつさせ置申候間しはし
御かし可被下候??次第返却
可仕候
是は後便尊兄も評を希度候
 子日記も近日御手ニ
廻り次第拝見奉仰?

語注

*長田鶴夫(おさだたづお)

気づき

注目すべき情報大意。
①『難後言』清書本(刊本ではない)送ってもらったことに対するお礼。早速長田鶴夫に送ったが未だ返さない。
②「花田」以下不明。諸平が花田某の名を使って何かを評した言葉に対し、春足が評したのに対する反応か。戯れ書なので諸平と分かるような書き方は避けたいと言っている。
③十二月、(春足より連絡のあった)阿波の国の人が「入門」するとの申し出、承知した。(大平へ入門するのか?諸平へ入門するのか?不明)

補足

最後の断簡(PC121414)は諸平の断簡か?「二月十三日」の日付があるが切り口から見て同じ書簡とは思われない。『難後言』の感想があるところから見て、同じ書簡に封入された別の書簡かも知れない。

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