書簡

宛て先・差し出し人ナシ 加納諸平書簡

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200659-PC121416

三月八日之華章相達候
よしニ而九日家族
ともより送越旅中
ニ而拝見仕候(先??)御壮
勇奉賀寿候扨後
言之事承知仕候
追々見せ置候間之にて
もめつらしかり候事ニ
御座候いかゝ板になれ
かしと奉存候小生義
又々風土記御用ニ而
有田日高南郡中
順在(?)仕候ニ付此度は
よほと日数もかゝり
申候間五月中下旬
ならてハ帰り申間敷
奉存候右ニ付出立前ニ

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200659-PC121417

一力物語御かへし可申上
存候而再覧しかけて
ツイ見終り不申候而
出立仕候段遺恨の
みかハ大失敬之様(?)
御海容可被下候
尤是迄数度拝見
之事故さつと見て
御(?)かへし申上候事は
やすけれと尚とくと
見はやと存候故自然と
怠り仕事ニ御座候
頼朝論之事承
知帰後早速さし上
可申候西海(??)之一條御
論おもしろかるへく候(?)
?早々御書ニて草

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200659-PC121418


稿のまゝなからも御
書(?)を可被下候うちとけ
たる文もかたき文も
さまさまあるか所謂
文章家ニ而藤井
如きヒヨロヒヨロ文ハ風
上ニもおかれじと奉存候
〇村田野口(??)両氏之詠
草先便かへし候は
いまた相達し不申
よしニ付いかにと存候
而此便は尊君へ御たのミ申上候何
卒一刻も早く彼
方へ御金可被下候
先は旅中何事も
心にまかせす略文
御尊免可被下候以上
 四月二日

色々申上度事
あり後便後便

語注

*風土記御用 「後に紀州藩の命で『紀伊続風土記』『紀伊国名所図会』の編纂にあたった。」(Wiki 加納諸平)

読み取れる情報

①三月八日付け春足書簡、家族より転送、旅先で拝読。
②「後言之事」(『難後言』)の事)、了解。(以下の文意不明。)何とかして板行されればよいと思っている。
③小生、又々風土記御用(注参照)で有田・日高・南郡中に「順在」(順に滞在することか?)している。
④今回は日数もかかるので五月中・下旬以降でなければ帰れないと思う。それ故出発までに『一力物語』は返却しなければならないと思い、もう一度読み始めたが読み終わらず出発してしまった。遺憾であり失礼もした。御許し願いたい。
⑤これまで数度読んでおり、さっと読んで返すこともできたが、じっくり読みたいと思っているうち怠ってしまった。
⑥「頼朝論」(諸平の文章)の事、承知した。帰ったら早速さし上げたい。
⑦「西海一條御論」以下、不明。
⑧うちとけた文章、堅苦しい文章と文章にはいろいろ個性があるが、所謂「文章家」といわれる人で藤井高尚などのヒョロヒョロ文章は風上にも置けない。
⑨村田野口(??)二人の詠草、先便でお返ししたのだがまだ到着していない由、どうなっているのだろう。此便はあなたへお頼みした通り一刻も早く彼方へお金を送ってほしい。
(この項、意味不明。読み取りに間違いあるか?)
⑩とかく旅中故心にまかせず、略文お許し願いたい。

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