書冊(版本・狂歌集・自筆稿本等)

『猿蟹ものかたり』と題する狂歌集 遠藤春足・著 岳鼎・画

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020205

猿蟹ものかたり

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020207

ましらかふたうなる蟹かすなほ
なる共にましへいふへき友たち
にハあらすまないた包丁うすき
ねかいさみたちたる侠気のやむ
へからさることけにさることなりこれら
の物語はやうむかしの人のわらはへ
のためにまうけ出たるいさめの

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020208

詞なるへし六々園のあるしかゝ
ることをとり出てされ哥の題となしゝ
もそのこゝろひとしかるへしおのれ
やみほけてかゝる大会にいてあハす
念なしといふへくやよりてはしつかた
のひまをのそみて少々思ふ心を
のはへつ    七十七翁  六樹園

 咏蟹
物皆難枉性枉性必傷情
我代渠儂道横行即直行
 己丑五月
 六々園主人嘱棕隠題

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020209

うち得ての後は
笛ふき琴ひきて
あそふもいかに
たぬしかりけむ
       諸平

題猿蟹物語二首
お腰黍団子日本一
途情蟹殿思打敵
只振横目行

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020210

憶昔添乳時お袋能
咄此題兀未送恩可
恥孝行蟹
     安六道人

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020211

岳鼎

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020212

よき事ハ
見もし
きゝもし
いひもせよ

おこらさるこそ
まさる也
けれ
     季鷹

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020213

ミさけひハ
しらす
鶏印に
はねられて

大喝一声
にけてゆく猿
   塵外楼清澄

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020214

 猿蟹物語
むかしいと大きなる猿と蟹とありけりかたみに
あるやまのふもとをゆきめくりけるにさるハ柿の
さね一つをひろひ蟹ハやきいひ一つをそひろひ
えたる猿これを見てうらやましくやおもひ
けむそのやきいひ此柿のさねにかへねといへは
蟹おもふやうやありけんむといらへてかへぬさて
蟹ハやかて此さねをその山のふもとにうゑて

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020215

其核にむかひていふやう柿よ柿よとくはえよはえよ
さらずは我はさみもてはさみきらましと
いへばすなはちはえ出ぬまた此みはえに
むかひてとく大きくなれ大きくなれさらずハ
我はさみもてはさみきらましといへは
すかすかとのひて見あぐるばかりになりぬ
また此木にむかひてとくみなれミなれさらす
はわかはさミもてはさみきらましといへバやがて

みなりて枝たわむはかりになりぬまたこの
実にむかひてとくうまくなれうまくなれ
さらずは我はさミもてはさミきらましといへバ
いとあかくそこらてるはかりになりぬされと
蟹ハ木にのほるへきよしのあらざれはいかが
せましとおもひわづらふほとにゆくりなう
かの猿の出きぬれは蟹ハよろこひつつまし
いかで此柿とりてたべむくひにハ十が五つを

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020216

まゐらせんといへば猿ハむといらへてするする
と梢にのほりぬさて此柿とるまゝにおのれ
みなうちくひて蟹にハ一つをたにあたえ
されは蟹ハしきだいしてわか佛わか佛いかで
其柿われにもたべといへば猿はいまとてその
中にことに青きをとりてなけおとしぬとりて
見るにいみしう青くてくふへうもあら
ねはうちなきてこハあまりになさけなし

いかてわれにもそのあかくなりたるを一つ
たへといへばいでいでとらせんといふまゝにまた
いと青く大きなるをとりてはたとうち
あてぬれバ甲ひしげてしゝぬ猿ハかう
蟹をころしぬれはおもひのまゝに柿うち
くひてあまれるはみなおのれか腰にとり
つけてもていにけるこのしにつる蟹のはら
にいとちいさき子ありてうこめきけるかやう

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020217

やうはひ出て穴にいりぬさてとし月を
へていと大きくなりければいかておやの仇
うちてんとおもひてミづから黍団子といへ
るものをいとおほくてうじて腰にとりつけ
つゝかの猿の住といふ山さして出たちぬさて
山路わけゆくほとに道のほとりにいと大きなる
栗の実あり此蟹を見て主にハいつくへか
ものし給ふとゝふわれハはやう猿のためにおやを

ころされたれハ其仇むくハんとおもひてかく
出たちぬといへは其御腰にものし給へるハ
いかなるものにかさふらふとゝふこハ天の下に
二つなき黍団子といふものなりといへバ一つ
たべ御ともつかうまつらんといふさらはとて
一つとらせけれハしたがひつゝゆくにまた道
のほとりにいと大きなる蜂をり蟹を見て
はしめのやうにいへば蟹もまたまへのやうに

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020218

いらへつゝこれにも団子一つをとらせてしたがへ
ゆくにまたなめらかなる牛の糞ありまた
大きなる杵また大きなるうすなとつぎつぎに
出ゐたりみなはしめのやうにいへは蟹もまた
まへのやうにいらへておのおの一つつゝを
とらせつゝしたがへゆきてかの猿のすむ
いほりにいたりぬ猿は山にいでていほりには
あらぬほとなれバ蟹はおりよしとおもひ

てまづ栗をよびてましは地火炉のうちに
ふしてあれといへばうけ給りぬとてゆきぬつき
に蜂をよひてましハ秦太瓶のほとりにあれと
いへは是もうけ給ハりぬとてゆくつきに牛
の糞をよひてましハはひりのくちなるしきミの
うへにあれといへばこれもうけ給ハりぬとてゆく
つきに杵をよひてましハ金戸のうへなる
なけしのうへにあれといへば是もうけ給ハり

*秦太(しんだ)瓶 味噌を入れる壺。(国史大辞典・日本大百科全書)

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020219

ぬとてゆくいとはてに臼をよびてましハ屋の
うへにあれといへはこれもうけハ給りぬとてゆ
きぬそハ用意ことごとくそなハりけれハ蟹ハ
床の下にはひいりてかくれをりさて猿は
何のこゝろもなうかへりきて例のやうに
地火炉のもとにさしよりて火かきおこし
股うちはたけてありけるにかの栗はちはちと
なりつゝはねて猿のふくりをやきぬ猿は

いミしうあわてまどひつゝ味噌をとりて
此火傷につけんとおもひてくりやにはし
りゆきて秦太瓶の中へ手をさしいれ
けれハかの蜂まちとりてそのただむきをしたゝかに
さしぬ猿ハあと叫びつゝなほくすり
とらんとやおもひけんはしりて外に
出ゆくにふとかのしきみのうへなる牛の糞
をふミけれはのけさまにどうとたふれぬ

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020220

此ときなけしのうへにかの杵おちくだり
て猿のかしらをうちくだけばつゝきて
屋のうへなる臼ころころとまろびおちて其
腰をうちをりぬ今はうごくべうもあら
ねばいきのしたにて妻子ハあらぬかとく
きてわれをたすけよといふとき床の下
より大声をあげてはやうわおのれかために
ころされたる蟹の子こゝにありいでおやの

仇むくひてんといふまゝにはひ出てかの猿の
手あしよりかしらにいたるまできだきだに
はさみきりておもひのまゝにほいとけて
かへりぬとそ父母の敵にはともに天を不戴
といふことかゝるものまてもしりけるにこそ
             六々園のあるし
                  春足

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020221

 蟹
      名コヤ  竜廼屋弘器
文君かむこの浦辺の
酒ふねにふとしひとつの
蟹も見えけり
      サカヒ  聴風軒草浪
くちをしと梢にらミし
時よりや蟹の眼は
上につきけん
      サカヒ 賢増亭 徳久
親の讐うちにし蟹の名とゝもに
天をいたゝく
手くせあるらん

      ワカ山  玉川舎毒也
猿かこつ柿の礫に甲やれて
さけはぬ蟹も腸をたつ
      越後シハ田  宝簔笠
共に天いたゝかしとやうへに目を
つけてかたきをうちし沢蟹
   在長さき  栗樹園 伊賀住
汀なる鳥の羽音におとろきて
いまも逃出す平家てふ蟹
      甲府   流霞亭真河
沢蟹の飯たくひまも仇うちの
こゝろはつねにさしはさみけん

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020222

 猿
      サカヒ    聴風軒
狩人のねらひはつれて栗よりも
おのかミひとつひろふ山猿
      大阪   月廼屋九雄
法のため身をさかるともいとはしと
鷲のミやまにゆく孫悟空
     尾州古渡  榴樹園花人
孫悟空のむかしもかくやさく花の
雲間をつたふ春の山猿

     下さ水海道 桃廼屋種義
亀ハついたませし猿もやく栗に
はねられしとき膽をつふしぬ
       名古ヤ 竜瑞園弘主
臼杵につよくうたれて人よりも
蟹のまねしてあわをふく猿
        阿波 六柯園猿人
臼きねや栗や蜂まてかたらひし
蟹のちを見てなける山猿
        仝  時雨菴濡丸
親の仇うつ蟹のミかうたれたる
さるもおなしくかうしんのもの

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020223

 柿
       大阪 一應亭五百貫
熟したる柿のもとにハ有心より
無心ていなるわらハへもミゆ
         ワカ山  毒也
熟したる柿の梢に此ころは
子らかこゝろの猿ものほれり
        下サ国分 松十帰
猿かとりてなけしひとつの渋柿か
むかしはなしのたねとなりにき
       江戸  猿遊園仲貫
枝かはす松の梢に巣こもるは
いたゝき赤き雀の子のかき

 黍団子
     三州足助  便雪園文麿
をさな子も腰をはなれすせかむ也
むかしはなしの黍団子をは
 杵臼
          アハ  濡丸
猿かしまのいさ供せんと餅やめて
蟹のミかたにつく杵と臼
      仙タイ  千柳亭一葉
瓢ほと中のくひれし杵の音
耳にさわりてこれもかしまし

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020224

 栗
       三州西尾 木毎文望
飯をたく蟹のともしてゆく中に
杓子とよへる栗もありけり
          アハ  猿人
昔蟹に仇をうたれし猿の子や
てゝ打くりと名つけたりけん
       大阪  秋水園落霞
炉の炭とともにおこりて讐うちに
火花をちらす栗の伏勢

 地火炉
       在大阪  岳亭丘山
いけくりのいしひやはなつ炉のもとは
火箸の鉾に柴の逆茂木
 孝
          アハ  濡丸
雪の日のおやにあたへしたかうなに
たかうなのたつ孝行の徳

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020225

 蜂
        サカヒ  聴風軒
かたきうつはかりことにハ山蜂の
ミつをはよしと用ひたりけん
 秦太瓶
         大阪   岳亭
つれつれにいましめありし糂粏瓶
後世をおもはぬ猿やもつらん

 牛糞
   常州江戸サキ  長松園清女
引て行手綱はかりかわるくさき
匂ひもはなをとほす牛糞
    出羽山カタ  筆花園玉繁
牛糞にかたきハなしと猿知恵の
おのかゆるミにはへりたりけん
          アハ  猿人
賤かひく牛はかりかハ其くそも
やはり大はらより出しもの

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020226

 復讐
         ワカ山  毒也
猿をうつ蟹か軍の相図にハ
呼子といへる笛や吹らん

   常州江戸サキ  縁樹園元有
猿蟹の?(合?)せんももとハ山柿の
金嚢よりやいつる計策
   大阪  笑廼屋鬼澄  岳鼎
仇討し蟹のはなしにわらハへか
こゝろの猿もおとろきそする

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020227

          六々園
笛を吹琴をひけるハ猿まろに
 ゆたんをさせん蟹かてたてか
おやの讐うつ孝行の蟹よなと
 わかすむ穴ハふかうするらむ
猿をうつてたてをとへハ栗蜂に
 たゝかうかうとひそかにそいふ

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六々園大人戯著
 白痴物語しれものものがたり  二冊
こはもろこしの笑林広記笑府などいへる物のたぐひにてことにをかしう興
ある物語を我国の雅文にものしたるなれハ一たひ巻を開き給はゝたちまち頤
を解して笑給ふべし但し雅文にかきとりかたきを自在にかゝれたるが作者の主意にて
さふらへハ文章などものし給ハん人ハかならず見給ふべき事なり

 吾嬬日記  近刻
  同人東くたりの記行
 桃太郎物語  同著
  猿蟹物語にひとしきわらハへのものかたりなり
 一刀(力)物語  同
  忠臣蔵七段目を物語体の雅文に訳したるなり

撮影:徳島県立文書館 / 画像:en200396-P2020228

文政十三年庚寅六月吉祥日
     大阪中橋通尾町南
 狂歌書林 千里亭 扇屋利助

語注・気付き

○本書は一読してお分かりの通り、子ども向け昔話として誰もが知っている「猿蟹合戦(の物語)を題材として、狂歌を詠むという趣向のもとに編まれた狂歌集である。春足は同じような趣向の狂歌集を少なくとももう一つ、企画したようだ。それは本書の最終丁に掲げられた広告中にある『桃太郎物語』である。(残念ながら本書は今のところ、遠藤家文書の中には見当たらない)。そこに書かれた宣伝文には「猿蟹物語にひとしきわらハへのものかたりなり(『猿蟹物語』と同じように子ども向けに書かれた昔話である)と書かれている。ここでわれわれははたと戸惑ってしまう。春足はなぜこのような趣向を企てたのかということである。というのは、狂歌の面白さを理解する対象としては子どもはあまりにふさわしくないからである。以下の見解は抜六としての私見である。

狂歌の「笑い」を生み出す技巧にはいろいろあるが、その一つに「古事(ふるごと)を題材としてそれをひねる(見方を変える)」というものがある。
例えば、宿屋飯盛(石川雅望)の代表歌「歌詠みは下手こそよけれ天地(あめつち)の動き出(いだ)してたまるものかは」は「古今和歌集』紀貫之の序、『力をも入れずして天地をも動かし』(古事)をひねった(見方を変えた)ものである。
この狂歌のおもしろさを理解するためには当然「古今和歌集仮名序」を知っておかなければならない。言い換えれば、読者は作者と共通の経験領域とでもいうものを共有していなければ笑いは生じないのである。しかし、読者が作者と同じ共通経験領域を持つということはそうたやすいことではない。

春足が狂歌の題材として「猿蟹物語」や「桃太郎物語」といった日本人なら誰でも知っている(と思われる)話を取り上げた理由は、このような子ども向けの昔話が「共通経験領域」として最もふさわしい題材と考えたからではないだろうか。春足はそれでも「共通経験領域」に個人差が出ると思って安心できなかったためか、初めに春足自身が語った「猿蟹物語」のストーリーを、雅文体で添えている。投稿者はこの話を元に狂歌を考えろというわけである。
この作品は一見子ども向けの昔話スタイルをとっているが実は誰でも知っている話題を題材に狂歌の特訓を試みようというわけである。

【2024.10.14追記】その後の詳しい考察は以下の記事を参照。

猿蟹物語の成立過程に関する資料考察
以下は、遠藤家文書中に見られる「猿蟹物語(ものがたり)」関連資料6点です。資料を整理したうえで、最後に考察を加えています。1.「狂歌猿蟹物語」 狂歌募集広告(チラシ)撮影:徳島県立文書館 / 画像:P2090121時期:文政十一年(1828...

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