書簡

六々園先生宛て 西村与八 書簡 (文政十二年)四月廿五日付け 西村屋江戸大火により類焼。『白痴物語』板木焼失の詳細な報告とお詫び。『六々園漫録』二、「おそろしきもの」中の「五回目の驚き すなわち西与からの書簡」を裏打ちするものである。

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200626-PC121289

当月四日出之貴翰(?)相達
辱奉拝見候先以暖気弥増候所
御家内様御勝宜(??)仕??被??被過
??恐賀至極奉存候
一三月廿一日神田佐久間町ゟ出火下店(??)も
類焼仕候ニ付被掛御心此度御尋問
被成下千万ニ忝仕合奉存候扨
此度之蛮火諸方ゟ委敷申上
御承引と奉存候又啓仕候下店義ハ
火元ゟは近辺ニ候得共最初風
脇ゆへ却而八丁堀辺と同時
くらゐに類焼仕候八丁堀御店ニも
御土蔵に(え?)類火之由嘸々御騒動
奉察上候自分ニ取紛御尋も不仕
此度御帋面ニて承知奉驚入候

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200626-PC121291

一拙店儀は町内何れも風脇ゆへ
案心仕最初ゟ取〆片付も不仕
油断仕居鉄砲町小伝馬町ゟ
俄火移候向?ゟ騒き出(候)手廻り
兼申候乍然家族怪我も不仕
迯去申候御安心被下??候尤土蔵之義
居宅ニ付居候弐戸前は無難(?)ニ
候得共少々相離れ居候板木蔵
蔵板入置候へハ(??)戸前類焼仕扨々
当惑仕候
一白痴物語之板木は類焼之
板蔵へ入置焼失仕候 全体
去暮百部すり上指上可申候所
運哉?積直し等も難計此義は
不申上候得共相?五十部指上御沙汰
無之候ハゝ三四日頃約五十部指上
可申存居候所焼失致申訳も無之
仕合御腹立御詫申上候百部

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200626-PC121292

差上候上ならてハ売?方仕間敷
事ニて上方筋へ為登候義も一向
不仕段当地仲間中へ兼而去秋ゟ
出板之本類或は草双帋抔へ目録相加
置候ニ付き尋参候方へ斗?七八部
遣し候斗ニて焼失扨々内外不都合
成義全板木彫上分ゟ七十部
ならでハ製本不仕候可然
御推察可被下候呉々御?方も不仕
焼失仕候段幾重ニも御詫び申上候而
御高免?被遊可被下候
一 二月廿五日出之貴音延着ニて
類焼後廿六七日頃当着仕候ニ付
彼是其中取込居候時分ゆへ
貴音(?)も不仕乍然御注文五十部は
急キ可申と五十包(五さつ已?)御直し之分筆工へ
申付為認板木も多分板摺方ニ
おく積ニて板摺方は(?)取ニ遣し候所
右申上候板木蔵へ類焼四五日前ニ

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200626-PC121293

入レ候ト申大ニ力を落申候板摺ハ
近辺ニ住宅致居候得共類焼後
日暮り(?)辺へ迯退き居是へ碇ニ
不置不取敢筆工え直等為認候儀
心配仕候得共右之仕合甚以残念
仕候直相認候板下封入御覧入申候
御一笑可被下候且狂哥???
福廼屋行之御状其侭御預り
申置候
一 霊岸島先生方も御案内之通
類焼土蔵は相残候得共穴蔵ヲ
被焼申候先生義も四谷ゟ(え?)
被立退夫ゟ此節は深川八幡前へ
被参居申候怪我等も無之候御安事
被下間敷候乍然?拙義も取込
いまた先生へは逢不申候得共塵外楼へハ
度々出合御伝言之趣申通(?)候所
雅言草稿土蔵へは不入大切ニ
持出させられ候由ニ候得共急火之

撮影:徳島県立文書館 / 史料番号:en200626-PC121294

事ニて先きニ而焼失ト申事ニ御座候残念
之義奉存候尤先生自筆ニて
被書候草稿は焼失仕候得共兼而
高名家ニ執心之方有之遣?
候得は写候元ニて被致候仁有之
是ニて種本ニは相成可申と被申候
狂哥堂先生も類焼被致候へ共
無難ニ被立退矢張八幡前ニ被居候
由ニ御座候取紛前後不文宜敷
御??可被下候拙店義も漸此方へハ
土蔵前へ小屋掛いたし商売初
候得共本普請又は土蔵塗
直し等ニて寸暇も無之甚取込乱筆
真平御高免可被下候先は此度
被掛御心御尋問被成下候段厚(?)
御礼申上候尚後喜重様万々(??)
可申上候 恐惶謹言
        西村与八
 四月廿五日

 六々園先生
     玉机下

語注・気付き

*風脇(かざわき)風の吹いてくる方向からそれたはたの方。風をよけた方。(コトバンク)

この書簡から読み取れる情報。
①(文政十二年)三月廿一日の江戸大火で「下店」(拙店?書肆西村屋与八店。蔦重日本橋店の近く通油町にあった。)も類焼。
②それについて春足から火事見舞いの「御尋問」があった。
③今回の大火については諸方からの情報で詳細は御承知と思うが私の方からもう一度(詳しく)ご報告申し上げる。
④拙店は火元(神田佐久間町)の近くではあったが風脇(風下の筋から外れる位置)にあったため、(火元よりは遠い)八丁堀と同時くらいに火の手があがった。
⑤(本)八丁堀にあった貴店(春足江戸店)も土蔵が類焼した由、さぞかし御騒動だったと思う。
⑥自分のことで精一杯になりお尋ねもせず。今回のあなたからのお手紙で知った次第。とてもびっくりしている。
⑦拙店は町内が風脇に当たっていたためつい油断し、鉄砲町、小伝馬町(鉄砲町はやや矛盾。違っているかも)より俄火がおこり騒ぎ出した次第。何もかも手が廻りかねた。
⑧幸い、家族は怪我も無く逃げることが出来た。御安心頂きたい。
⑨尤も、土蔵のうち二戸前は居宅としておりこれは無事だったが、少し離れている板木蔵は類焼した。
⑩『白痴物語』の板木はその板木蔵に入れてあったため焼失してしまった。
⑪(『白痴物語』について)これは去年暮、百部摺り(春足へ)送るつもりだったが、(それも出来ず?)
⑫(これは申し上げていないことだが)五十部摺り、(春足に送り)何も(直しなどの)御連絡が無い場合は残り五十部を摺り、お送りするつもりでいたのだが。全部焼失し申し訳ない。さぞかしお腹立ちのことと拝察しお詫びの仕様もない。
⑬(完成品を)百部お納めしないうちは勘定もしないつもりで、上方筋(上方の書肆へ配本すること)もせず、江戸の仲間(地本問屋)へは去年の秋頃から出板の本類とか草草紙類に広告を出し、(それを見て)買いに来た人だけに七、八冊売っただけで(残りは)焼失してしまった。
⑭七十部以上でなければ製本はしない。(この項、不明)
⑮焼失してしまったこと幾重にもお詫びする。どうぞ許して頂きたい。
⑯二月廿五日日付の(春足からの)書簡は延着し、(三月?)廿六七日ごろ到着した。取込中だったので御返事も申し上げていない。
⑰(春足書簡)中、注文のあった五十部は急ぐべきものと考え、直しの分筆工(「版下を作る人」の意味だが「彫り師も含むか?)へ申しつけて書かせ、板木も摺り師の所に置くつもりで摺り師が(板木を)取りに遣り、類焼四、五日前に板木蔵に入れておいたところ(焼失してしまった)と力を落としている。
⑱摺り師は近辺に住んでいるが今は日暮里(?)辺に住んでいるとか。
⑲碇ニ不置不取敢筆工え直等為認候儀心配仕候得共右之仕合甚以残念仕候(この部分意味不明 (摺り師は直しの原稿を元の家に置かず、とりあえず直しの部分を筆工に直させていたことを心配していたが「右之仕合」(焼失)してしまい残念である。)
⑳直しの版下を(この書簡の中に)封入してお送りする。御覧下さい。
㉑狂歌堂(眞顔)と福廼屋宛ての書簡はそのままお預かりする。
㉒雅望先生も御存知の通り類焼した。
㉓土蔵は焼け残ったけれども穴蔵は焼失しまった。
㉔先生も四谷へ退去されこの頃は深川八幡前に転居された。お怪我もなくご心配いらない。
㉕しかし私も取り込んおり未だ先生にはお会いしていない。
㉖(息子の)塵外楼とは度々出会っており伝言をお願いしていたところ、
㉗『雅言集覧』の草稿は土蔵へはしまわず、大切に持ち出したところ、急火に遭い、退去先で焼失したとのこと。
㉘草稿は焼失したが以前から高名家の書にご執心の仁が居られ、その方(屋代弘賢)が写して居られたものを種本として復元はできそうとのこと。
㉙狂歌堂先生(眞顔)も類焼したけれども無事立ち退き、今は(雅望先生と)同じく、深川八幡前にお住まいとか。
㉚火事騒ぎ前後から文通もとぎれいる。(ごついでがあれば)よろしくお伝え下願いたい。
㉛拙店義も元の土蔵前へ小屋がけして商売を再開しいる。
㉜本普請、土蔵塗り替え等で寸暇もなく乱文乱筆お許し願いたい。
㉝心にかけて頂きお尋ねがあったこと厚くお礼申し上げる。
㉞また次の便で万々申し上げる。 以上

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