
一筆啓上仕候向暑之節ニ
御座候処先以其御地
御渾家御揃愈御安康ニ
可被成(御由?)大慶奉存候然は
家君大人御胸痛俄ニ
発候程ニ御養生被遊候処
無其証終ニ御死去被遊候
由二月出之???驚入候嘸々
御一統(?)様方御愁傷被遊候
半と(?)於拙子も哀傷仕候此段
疾ニ御悔可申上候処二月中
当地大火ニ而又々拙家も類焼
仕??住居不自由之中ニて
病人共有之彼是混乱
大延引之段御宥恕可被下候
且兼而御催被成候書籍之
差引委細可申上様被(仰?)下
承知仕候則左ニ申上候

??
一 百廿六匁五分 白痴物語
板木?掛り??
内拾匁 弐拾部摺立
板ちん引
又?三? 請取
巳九月十五日八丁堀へ出す
一 六十匁 同本 三十部
内弐部御頼ニ付
芸外楼へ遣ス
〆廿八部御地へ差出ス
差引
?百卅壱匁五分 おかし被成候
右之通御座候間宜敷御願
申上候且前文ニ申上候類焼
後諸雑費夥く其高?
?一円不景気ニて更ニ融通

無之甚窮屈仕候間少分ニハ
御座候得共早々御送金奉願候
是又宜敷御承引可被下候
乍序申上候芸外楼主人
前月十五日急病ニて死去
被致候此段為御知申上候先は
右申上度取(急?)面々如此
御座候余は後音万々可
申上候 恐惶謹言
五月六日 西村与八
祐蔵
遠藤春仁先生
玉 机下
気づき
①この書簡は天保五年五月六日付けで西村与八・祐蔵(祐蔵は与八の別名ではなく三代目与八の本名か?)が遠藤春足の子息春仁(春通)に宛てた書簡である。
②家君大人(春足)死去についてのお悔やみ。
③春足は胸痛の発作がおこり、養生むなしく死去した。
④早くお悔やみ申し上げるべきところ江戸大火(この大火は天保五年二月七日に起こった大火。文政十二年大火と同じく神田佐久間町が火元。)のため類焼。住居不自由、病人発生等混乱のため対応出来なかった。
⑤『白癡物語』刊行の精算(兼ねて遠藤家の方から催促があったと見える)について。
(〆百卅匁五分は遠藤家の支払い分ということか?)
⑥大火後、江戸は物価高騰不景気のため西村家も金繰りに困っている。すこしでもご送金願いたい。
⑦『白癡物語』を二部送った芸外楼主人は四月十五日急病で死去した。
以上の他
「巳九月十五日八丁堀へ出す」(巳は天保四年)の一文から遠藤家江戸店は文政十二年の大火後も存在していたことが証明される。
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